やはりというかなんというか、徹夜で遊ぶには体力がなさすぎた。ゆうべは2時過ぎに諦めて、セーブして就寝。今になってやっと、現在プレイ中の話がどのシナリオと筋書きを同じうしているのかに気づく。そうか、あの時牢の中で泣き叫んでいたのは姉のほう(というか妹のほうというかなんというか、とにかくあっち)だったのか。そうすると人形のエピソードが思い出され、尚いっそうの切なさが漂いだす。
双子といえば、昔読んだ外国の小説を思い出す。彼らはふたり、互いが互い。入れ替わってはいたずらの限りを尽くす。名前はふたつあっても、ふたりはひとり。相手は自分で自分は相手。境界線など存在しないのだ。
戸籍上に名前が存在するかどうかに関係なく、生きている限り自分は自分であるが、かつ、そういった人間が名前の数だけ存在したとしても、意思を通わせることができる限り、自分は彼らであり、彼らは自分である。境界線など存在しないのだ。
リアル社会での存在とは関係なく、こうしてWEBに書き込みを行う限り自分は自分であるが、かつその社会的ポジションを表明せずにハンドルネームという仮の識別名称を持つ実質的名無しの人間は、そのハンドルネームの数だけ存在したとしても、その書き込む文字により意思を通わせることができる限り、cessは自分であり、cessは名無しであり、名無しは自分である。境界線など存在しないのだ。
よって異なる次元のくびきを異なる世界に導くこと自体に不自然を覚え、それを実現しようとする人間を、憎みこそしないものの、その思惑は一体なんだといぶかしむことくらいはする。そんな名無しのcessは、無意識のうちにもうひとりの自分、いやもうふたりの、3人の、100人の、一万人の自分の存在を心の底に信じている。オレンジに染まる液体に満ちた水槽に漂う数多の、同じ特徴を持った身体たちをモニタの向こうに求めている。殖えろ自分よ。集え名無しよ。もはや双子というレベルではない。三つ子四つ子六つ子256つ子…やがて八百万。世界中が神で満ちてしまえばいい。または神という名を騙るおびただしい数の名無しで。いや、すでに満ち満ちているに違いない。