5時に目が覚めてからうだうだとネットを見ていて、それからまた少し眠ったりしていて、6時30分と7時15分の2回京ぽんの目覚ましが鳴ったけれども今日は起きなくてもいい日だ。笑顔でボタンを押して黙らせる。
またうとうとしたり、素敵な日記を見つけて最初の日付から読み返したりしていた。ビッキーとかルリヲとか、昔自分の脳内に勝手に招待して住んでもらっていた、人様の創造したキャラクターが、その人の日記の中にちょびっちょびっと出てくるので、その人は単にパロディとかシャレみたいなつもりでその名前を出しているのかなあ、それともやっぱり昔脳内にちゃんとビッキーたちが住んでいたのかなあ、と気になったけれども、別に何の接点もない人なので、ただ黙って日記を読んでいた。
そんでもって10時過ぎにおきたのでお好み焼きを作った。空腹ではなかったにもかかわらず。だって今日作らないとキャベツが腐ってしまうんだもの。その腐敗は現在進行形で進行する腐敗なので腐敗ing。腐敗の敗はどうして敗北の敗なのだろう。菌に負けるからなのか。ということはたった今フライパンでお好み焼きの生地に混ざった刻みキャベツに火を通したことで自分は菌に勝ったというわけである。文明が菌に勝った。勝利です。姉さん、勝利です。でも食べてみたらちょっとだけいやなにおいがしたので、勝利じゃなくて痛み分けなのだと思った。この後腹痛とかが起きたりしたら菌の逆転勝利なのだ。戦いというのは最後の最後までわからないものなのである。終わったあとでさえ責めたり責められたり逆切れしたり死人の扱いにどうこう言ったりが続いている。
西友のお好みソースがもう残り少ない。一緒に買った中濃ソースは封も開けてない。これはキャベツを買ってお好み焼きを作ったり刻みキャベツにソースをかけて食べたりしよう!と二択の選択肢を手にした自分が結局前者の選択ばかりをしつづけたことを意味している。これに飽きてちゃんと米を炊いて冷凍してそれを毎晩解凍して食べるようになったら、それが回復のしるしのような気がする。回復って何の。今の自分は病気ですか?違うと思う。別にお好み焼きと持ち帰りの寿司とカスピ海ヨーグルトの日々だって、ちっともおかしいことはない。毎日毎日3年間くらい粥だけ食ってかゆ、うまと叫んでいたって、ちっともおかしいことはない。
氷結グレープフルーツは缶から直接飲んだ方がうまいな。