せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

焼け跡

あれは今月の初めだった。
アボカドの好きな私は、スーパーでは100円のアボカドが80円で売られている駅前の八百屋を愛用していた。すぐ目の前のスーパーのアボカドは100円だったが、3つ買うとひとつは必ず外れのアボカドで、縦に一周切れ目を入れて果皮をつかんでひねり開けると果肉の中には黒い筋が入っていて、果皮の直下の果肉にはところどころに黒い陥没ができていて、そして食べると青くさい味がしてとても飲み込むことさえできないアボカドなのだ。文句を言えば取り替えてくれるであろうが、たいていはそんな気力も失せてただ外れのアボカドを生ゴミの袋に放り込むだけの私であった。
がしかし、その八百屋のアボカドは違った。ダンボールに無造作に並べられた黒い果実の皮の照り、その内側から主張してくるような張り具合、割って目にする果肉の滑らかな美しさ、そして味。いつ、いくつ買っても外れがない。もしかしたら自分以外の誰かがその八百屋で買った時には外れに当たったことがあるのかもしれないが、もしそうだとしたら、私がその八百屋で買ったアボカドにはひとつとして外れが無かった、その事実は、この私がその八百屋でアボカドを買う、という行為が天から許され祝福さえされた事柄であることを示している、と私は断言するであろう。
しかもそれが248円でも128円でも100円ですらもなく、80円なのだ。3個に1個の外れに当たる100円のスーパーのアボカドを4個買うと400円で、外れが一つあるので実質3個しか食べられない。運が悪いと2個、いや1個、天中殺ならばすべてが食べられずにゴミ袋行きであるのに対し、80円のアボカドは400円で5つ買えて、しかも外れが無くそのうえ旨い。祝福された店の祝福された果実なのだ。
そして4月の初め、私はアボカドを買おうと八百屋へと足を向けた。仕事が終わって残業せずに一直線に帰ってくると、ギリギリでこの店の閉店時間に間に合うのだ。
しかしその日、角を曲がると見えてくるはずの店の明かりが灯っていなかった。定休日ではないはずのこの曜日になぜ、と近づいてみると、シャッターが閉められていた。
異常を知らせるのはシャッターだけではなかった。シャッターの手前には赤い紙テープのようなものが張られ、そこには「立入禁止」という白文字がいくつもプリントされていた。
何が起きたのかわからず途方に暮れふと見上げると、建物の2階が目に入った。どうして天井が見えるのだろう。窓ガラスはどうしたのだろう。しかもなぜか内部のすべてが真っ黒だ。
そこでやっと鼻をつくような臭いが周辺一帯に立ち込めていることに気がついた。
八百屋の入っていた建物が焼けてしまった。隣の肉屋も焼けてしまった。きっと外れの無い祝福された80円のアボカドも焼けてしまった。私の祝福された果実は焼けてしまい、祝福された八百屋は焼けてしまい、霜降り肉や高級ハムが多く並んでいた為あまり気にしたことのなかった隣の肉屋もついでに焼けてしまった。祝福とその他多くのものが焼けてしまった。
悲しい話であった。しかし死人などは出なかったらしく、それだけが私の救いであると思った。私は祝福されたアボカドを鬻いでいた青果商の未来に幸あれと大いに祈ることにした。祈ることしかできないのであった。
今日、火事場の前を通ると、建物はすっかり取り壊され隣のビルにくっきりついた煤の跡が目につくのみとなっていた。