金銭事情から昼には家から持参した握り飯を食べるようになり、はや半月。そろそろ飽きた。しかし、そっけない握り飯ではなく、弁当を作るようにしたらどうだろうと考えた。駅そばの雑貨屋でひと月ほど前に、心ひかれる弁当箱が売られていたのを思い出した。
パステルカラーのちいさな楕円形の器、透明な蓋には白いねこが描かれていた。毎日これを鞄にしのばせて出勤する自分を思い浮かべるとなんとなくわくわくした。
小さな弁当箱だから、おかず専用にしたらどうだろう。握り飯は別にして、サニーレタスにプチトマト、マカロニサラダ。チンするだけのコーンクリームコロッケ。張り切って煮物とか、タコさんウィンナーも作ってしまうかもしれない。
仕事の後、どきどきしながら雑貨屋へ。若い娘がわらわらと店頭のポーチ売場に群がっている。疲れた目に店内の明かりがまぶしい。
白いねこの弁当箱はその店から姿を消していた。
元々そう多くを仕入れていなかったのだろう。化粧小物から衣類、靴、海外のミネラルウォーターまで若い女性向けのグッズが並べられ、それらすべての品揃えがめまぐるしく変化してゆく。ランチ向けグッズもほとんどが入れ替わっていた。ひと月前に目を留めたねこの弁当箱、あの時買っておけばよかったのだ。
あの時棚にあった1ダースほどの白いねこたちは、新社会人や高校生やお局や、とにかく自分以外の1ダースの人たちによって毎日使われ、一口サンドイッチやエビピラフやサーモンマリネやキウイフルーツや、そんなもので毎日満たされては彼女らの腹を満たし目を喜ばせ、汚れては洗われ、日々を送っているのだ。そう考えて幸せなねこの弁当箱たちを心から祝福することにしたが、ひとり取り残された自分は、たまらなくなって家の最寄り駅のスーパーの2階の弁当箱売り場をあさった。だがそこには、透明な蓋の上でのびやかな体を躍らせていた白いねこにまさるものは何もなく、それどころか葉っぱとありんこの絵とか、マイ×ロもどきとか、地味な市松模様とか、ねこに逃げられて打ちひしがれた自分の頭上に500gずつ重しをのせてくれるようなものたちを目にするにつれ、自分の中ですでに萎みきったわくわくが次第に腐臭を放ち始め、その歪んだ気体が着々と脳髄を冒していくのが感じられた。
弁当なんて作らない。