せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

ミルカの×色の部屋

道徳を重んじるその村には奇妙な風習があった。重罪を犯した者が住んでいた家の扉はすべて表から見てはっきりとわかるように特定の色で塗られる、というものだった。他人の家畜を盗んだ者の家、山に火をつけた者の家、酔った末に喧嘩を始め、刃物を持ち出して相手を死なせた者の家。罪人たちが極めて危険な- 生きては帰れない、ともいう- 離れ小島でのメストロ鉱採掘の懲役労働へ送られたのちも扉の色は長いこと色あせず、その鮮やかな色をした扉のついた家には村人は決して出入りしない掟になっていた。小さな共同体での孤立はすなわちその家の死を意味し、残された罪人の家族は扉の色がすっかり褪せるまで懸命に窮乏を耐え忍ぶか、村を出て行くか、絶望から自らその命を絶つのだった。
そんな掟は百年以上にわたり厳格に守られ、その罰の恐ろしさからその村で重罪を犯すものはほとんどいなくなった。村長はそれを誇りとして代々、この平和な村を治めてきた。今では鮮やかに色塗られた扉は、海岸の隅に今にも崩れそうに建っている一軒の小屋の入口に見受けられるのみとなった。
ミルカは父に問うた。
「あの小屋の扉はなぜあんなに綺麗なの?」
父は何も答えなかった。なので母に聞いた。
母は答えた。
「あの色の扉には近づいちゃいけないの。行ってはだめよ」
だが両親は実はなぜあの小屋の扉が塗られているのか知らなかった。彼らが生まれる前からずっと、その小屋の扉は鮮やかな色で塗られていたのだった。色褪せてとうに罪は許されたとされるに十分な時は経っているはずなのに、その小屋の扉はいつまでもその目の覚めるような色を保ったままだった。彼らも彼ら自身の親からその小屋には近づくなと戒められていた。そしてその親の、そのまた親も。
好奇心いっぱいだったミルカは、村長に会いに行って理由を聞いた。
「どうしてあの家に行ってはいけないの?」
村長は口ごもった。子供にこんなことを話しても理解できないだろうと思ったのだろう。威厳のこもった口ぶりで、ただその家に近づくな、ということだけを言い聞かせて村長は隣村の長との会合へ出かけてしまった。
そこである日、両親や村長に見つからないように、ミルカはこっそりとその小屋を訪れた。扉をノックしても返事はない。人のいる気配も感じられない。だがしかし、扉の横についている、潮風ですっかり白く曇った窓から覗き込んでみると、ミルカはそこに一人の老婆の姿を見つけることができた。
老婆は海に面した小さな窓から外を見ながらひっそりと泣いていた。ミルカが砂浜を歩いて老婆の正面へと回りこみ無邪気に窓をコツコツ叩くと、老婆はゆっくりとミルカに顔を向けた。
「おばあちゃん、なぜ泣いているの?」
老婆によって少しだけ開かれた窓からミルカは身を乗り出して尋ねた。
老婆は答えた。わたしは魔女だ。お前さんのような子供がここへ来てはいけない。お前の両親はここへ近づくなと言っているはずだ。
それでもミルカは目を輝かせて、老婆に訊いた。
「どうしてここへ来ちゃいけないの?この家の扉はこんなに綺麗で素敵なのに」
老婆はしわがれ声を絞り出した。わたしは村の人間たちが罪を犯さないようにと永遠の見せしめにされたのだよ。そしてわたしはそれを甘んじて受けている。この扉は村で最初に「塗られた」扉だ。そして罪を犯したのはわたしの息子。今ではこの村にはわたし一人を除いて魔法使いはいなくなったが、昔は沢山の魔法使いが人間と生活をともにしていたのだよ。
魔女と名乗る老婆はさらに語った。百年も前に彼女の息子が一人の娘をめぐって村長の息子と争いになり、期せずして魔法で相手の命を奪ってしまったこと。人間に対して魔術を使うことはその村の魔法使いの間では禁忌であったこと、まして人間にとってはそれは一方的で卑怯な暴力と受けとめられたこと。息子を喪った村長が掟を作り、海辺の魔女の家の扉を鮮やかに彩って村人が近づくのを禁じたこと。以後重罪人を出した家については同様の処罰をあたえると決めたこと。
「でも、この扉はついちょっと前に色塗りをしたみたいにぴかぴかだよ?どうして?」
ミルカの問いに、魔女は涙を浮かべてこう答えた。
お嬢ちゃん、この村の掟では、何年も何十年もかけて扉に塗られた色がはがれてしまえば、罪は許される。だが、ここだけは違うんだよ。お前の家族は知らないかもしれないが、扉の色が褪せてくると、村長の屋敷の若い衆が、夜中に誰にも知られないようにこっそりとやってきてまたもとの色に塗り直して行くのさ。さびしいね、さびしいよ。この世は地獄さ。
ミルカには理解できない話だった。最後にやっとのことでもうひとつだけ訊いた。−どうしておばあちゃんはそんなつらい思いをしてまでここにいるの?
息子を待っているのさ。我々魔法使いは、この世に思い残しがある限り寿命を迎えるということがないのだよ。
老婆がそう答えたとき、遠くからミルカの母の声がした。
「しっ、もうわたしに何も聞くでないよ。早くおゆき」
老婆は震える手で窓をピシャリと閉めた。

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ミルカは近寄ってはいけない場所へ行ったことで両親からこっぴどく叱られた。あの小屋には年老いた魔女が住んでいて、息子を思いさびしがって泣き暮らしているんだと説明すると、そんなことは誰にも言うんじゃないときつく言い渡された。しかしミルカは悪いことをしたとは思っていなかった。老婆の話は幼いミルカの理解を越えていたが、ミルカの頭からはあの扉の色の美しさが離れなかった。

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ある日村長の娘の婚礼が開かれ、村中の人間が祝宴に参加した。ミルカはふと思い立って、屋敷の裏にある倉庫へと、両親の目を盗んで忍び込んだ。いつも倉庫の番をしている若者−おそらくは老婆の家の扉を絶えず塗り直している男−は、宴の席で酒を振舞われて酔い潰れていた。
知らない国の言葉が書かれた小さな塗料樽は倉庫の片隅に無造作に置かれていた。蓋からはみ出して付着した塗料の色はまさにあの扉の色だった。ミルカは目を輝かせてそのうちの一つを持ち帰った。道中、その色が塗られた扉の美しさと老婆の顔が交互に目に浮かんだ。
ミルカは夢中で刷毛を動かした。屋根裏にある狭い自分の部屋の壁はあっという間に彩られ、ミルカは寝台や机の上に立って天井にも色を塗った。部屋はだんだんと光輝くように鮮やかさを増し、ミルカの頬を照らした。

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翌朝、疲れて眠るミルカを起こしに屋根裏部屋に上がってきた母親は、禁忌の色に包まれた空間を目の当たりにして卒倒した。悲鳴を聞きつけて父親と、近所の村人たちが集まってきた。

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「魔女よ、魔女の呪いよ!」
ミルカの母親は意識を取り戻すなり叫んだ。ミルカが魔女の住む小屋に近づいていたことを知って村長は息を呑み、魔女の存在を知らなかった村人までもがいたずらに恐怖し、村中が騒然となった。ミルカが塗料を村長の家から盗み出したこともこの騒ぎを悪い方へと傾けた。ヒステリックな非難の声が渦巻くなか、ひとりの老人が叫んだ。
「ミルカは魔女だ!そして罪人だ!」
長い間罪人を出さなかったこの村は、人を裁くことに慣れていなかった。
ミルカの言い分は幼すぎて誰にも聞き入れられなかった−綺麗な色を毎日見ていたかったのに。あの魔女のおばあちゃんに、わたしもあの綺麗な扉と同じ色を、自分の部屋に塗ったよ、だからおばあちゃんさびしくないよ、そう言ってあげたかっただけなのに。
暴徒と化した村人の一部により、海岸の魔女の小屋には火が放たれた。
足の悪い年老いた魔法使いは抵抗もせずその中でついに灰となって死んだ。もう見せしめとしてあの扉のある小屋を残しておく理由もなくなった。別の家がその小屋の役目を引き継いだからだ。
ミルカの家の扉はあの鮮やかな色に塗られ、ほどなく気の狂った母親を連れて父親は村を出て行った。なぜ自分たちがこんな目にあうのかわからないままに。
村長は魔女の家に火をつけた者に対しては、罪を問わなかった。いや、火がついたのは年老いた魔女がかまどの扱いを誤ったためであるとして、彼らの罪を隠したのであった。
ミルカは生きては戻れぬメストロ鉱山へと、わずか7歳にして送られた。

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砂嵐の吹きすさぶ離れ小島メストロ。さまざまな村から罪人たちが集められ、その悪環境からいつ命を落とすかと絶望の日々を送るこの土地の鉱山で、恐怖と孤独感に怯えながらもミルカはある一人の男と出会った。若いのか年老いているのかわからない、色白で痩せこけた風貌の男であった。
「あの色」
その男の瞳は深く深く澄んで、鮮やかな老婆の家の扉と同じ色をしていた。