せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

満員電車

To:m_oyama23@***.***.ne.jp
From:est-k.user12@***.com
Subject:「満員電車」
Date: Mon,18 Aug 2003 06:58:53 +0900
 
1年ほど前に、フリーのサイトスペースを取って小説のようなものを書き始めた。連作の短編が少しずつ溜まっていき、見に来る人の数はそれほどでもなかったが、自分は、作品と呼べる出来ばえとも言えないかもしれないそれらをWEBという人との共有空間に置けることだけで満足していた。たまに感想を述べてくれるメールが来たりして、見知らぬ他人の自分と言葉を交わしてくれる人がいることにこそばゆいような嬉しい気持ちになったりもした。
 
会社ではいつもあまりいい目にあっていなかった。周りから見ればいつもおどおどして、威圧的に言いつければへらへらしながら命令に従う人間と映っていたであろう自分には、誰かの尻ぬぐいの役目ばかりが回ってきた。何か提案をしても、実績がないと却下された。そして早くあのクレーム客のところへ頭を下げてこいとあごで外へ追いやられた。
自分は人と人との隙間に生きていて、やっとのことで息をしている、そんな気がしていた。ほんとうはお前はここにいなくていい人間なんだ、いられるだけで感謝しろ。与えられた仕事に文句を言うんじゃない。これは上司が実際自分に投げつけた言葉だ。本音なのだろう。
実家の両親は健在だが、もはや自分にはなんの期待もしていないとわかる。そんなものしてくれなくていい。むしろ今まで自分に対して望んでいたものが大きすぎたのだ。それに疑問も抱かず従順にならっていた自分が、そのまま進めば世の中に出ても受け入れられ、期待されるものだと思っていたのは大きな勘違いだった。我が子だからこそ、うまくやってくれるはずだと親は信じていたのだろうが、社会に出れば周囲の目はよりシビアで、そしてなにより公平だった。自分にはそんな実力も才能も、そして運もなかった。そして親もそれに気がついた。
 
何のために生きているのか?なんて考えるような哲学的な趣味もない。友人のたぐいに愚痴をこぼしても、その場ですっきりはしても何の解決にもならない。慰めの言葉などもらってしまった日には、自分と相手との境遇をつい引き比べ、ため息をつくのが関の山だ。ただなんとなく日々を送り、毎朝毎朝満員電車にやっとのことで乗り込み、吊り革につかまりながら自分の足もとを見る。よろけて他の人の足を踏まないように。帰りの電車も混んではいるが、疲れている代わりに少しだけ気持ちが楽になる。家に帰れば上司も取引先もいない自分の時間が待っている。
転職?今の自分が別の場所に移って、そうそう簡単に変われると思うのか?同じような光景が待っているだけだ。そんなことやってみなくちゃわからない?やらない怠惰な自分が悪い?ああそうだろうね、悪いのは自分だろう。その自分が居場所を変えただけで、別人に生まれ変われるわけがない。だからこのままでいいんだ。このまま満員電車に揺られながら、細々と息をしていければそれが自分には相応なんだ。人の足を踏んだり邪魔になるようなことをしないように最大限の注意を払って、生きていけばいい。多くは望まない。
 
それでもそんな毎日に少しの楽しみをくれたのが、あのWEBスペースだった。学生時代に少しだけ読んでいたことのあるファンタジー小説を、今度は自分が創り上げて人に読んでもらうようになった。ひとりの女性が時代を超えて旅をする―そのモチーフは、実は十代のころから自分の中にあった。
自分の文章は拙いものだったけれど、心の中にあった物語はホンモノだという自信があった。別にそれをすぐれている、とか素晴らしい、と思う気持ちはなかった。ただ異性の主人公になりきってものを考え、その物語を紡ぎ出していく快感を味わうのが至福の時間だった。そしてそれが人の目にふれ、時には共感を示してもらえる―その喜びは自分の当初の予想を超えて大きなものだった。だから少しずつであるが自分は、書きつづけていた。気がつくとそれが唯一の楽しみになっていた。
そしてそれはきっと自分には、身分不相応な幸せというものだったのだ。
 
異変が起きたのは真夏のある日のことだった。クレームの収拾でここのところずっと出張している客先から一人住まいへ帰り、いつものように自分のパソコンを起動してメールチェックをした。
メールが届いていた。しかも尋常ではない数だった。読むと自分にとって不可解なことばかりが連ねられていた。「パクる」とは何のことだろう。自分が盗作サイトを作っているとはどういうことか。知らない登場人物の名前を挙げ、彼女を返せと訳のわからない文句が並べたてられている。表を作って、具体的にどこが「真似した」箇所であるか、長編シリーズものである「オリジナル」との類似を指摘してきたメールもあった。ただシンプルに、最低の罵りの言葉を一言だけ記したものもあった。
誤解されたのだ。誰かが自分の小説を、他の人のアイデアとモチーフの卑怯な寄せ集めからなる作品であると判断し、それについてWEBのどこかで敵意をもって言及した。違う。完全な誤解だ。自分は自分の頭の中にあったものを形にしただけなのだ。理性的に書かれていた数通には反論のメールを送ったが、信じてもらえるだけの根拠を連ねた自信がなかった。翌日から悪意のメールの数が増えた。
 
そんな日々が数日続くと仕事も手につかなくなり、客にはさらに迷惑をかけて悪循環となった。終電を過ぎても帰れずホテルに泊まり、週末にやっとのことで自宅に帰った。メールチェックをするのがこんなにいやになったことはなかった。
たまに感想を送ってくれていた人もこの騒ぎを知ったらしく、自分に失望した、と書かれたメールが届いた。早くWEB上からこの盗作を撤去した方がいいという忠告付きで。
 
もう無理をして続けることはないと悟った。
 
サイトを閉じる前に、メールを送ってきた人々が「オリジナル」だという、その小説たちを読んでみようと思った。一屡の望みがあった。そう、もしかしたら、自分の方が「オリジナル」なのかもしれないではないか。作品名が書かれたメールをプリントアウトして書店へ向かった。だがわずかな期待は失望へと変わった。どれも自分がサイトを開くよりずっと前に、大手の出版社から出されている作品ばかりであった。最近そのひとつが映画化されて、若年層を中心とした読者からいっせいに脚光を浴びるようになった作家のシリーズものだった。
 
そしてどれもこれも、昔自分が読んだことのあるものだった。
 
内容を覚えてもいない本ばかりなのに、自分は無意識にそこから筋書きを拾い上げ、キャラクターを取り出し、それらを接ぎ合わせて自分の物語へと作り上げていた。偶然の一致と呼べる程度ではなかった。そしてそれら「オリジナルの」傑作を紡ぐ作家の文章力とは程遠い、自分のたどたどしい筆致は、両者を比べてみると自分の目からみても際立っていた。ファンの人たちにとってはたとえ作家たちへのオマージュと言い訳しようが許されるレベルではないのだろう。
このままパソコンごと初期化してやりたいほどだった。顔も知らない人間に責められ、攻撃されているという事実もそうだが、自分の作品がほんとうは自分でない誰かが作ったものであるということが情けなくてしかたがなかった。「自分の方がオリジナルなのでは」と傲慢にも期待した自分が恥ずかしくてしかたがなかった。あの他人の構想を丸写しにした作品にも、あの盗まれた女主人公にも存在価値がなくなった。ということは、WEBの上にはその作者としての自分の存在も認められなくなったということだ、そう思った。
 
サイトを閉じた。たぶん信じてはもらえないだろうけれど、盗作をしたり作家の権利を侵したりする意図はまったくなかったことを最初に記し、ファンの人に不快な気持ちをさせてしまったことへのお詫びを自分なりに丁寧な文章にしてトップページに掲載し、その他のファイルはすべてサーバーから削除した。ローカルからも。自分の分身である作品が、自分の手で消されていった。持っていたフリーメールのアカウントも消した。終わった。もういい。少しの間、楽しい思いができただけでもよかったじゃないか。
 
だが翌朝から、激しい苦痛に襲われるようになった。どうやっても、会社に行けない。満員電車に乗ろうとすると気分が悪くなるのだ。
乗れなかった電車を見送り、最前列に立って次の電車を待つ。銀色の車体が滑り込んでくる。ドアの脇に少しだけ体を避ける。ドアが開く。主要駅まではまだ遠く、降りる人はほとんどいない。乗ろうとする。・・・体が動かない。
体をねじ込めばいくらでも乗り込むことはできるはずだ。でも乗れない。足を引きずって車内に踏み込もうとする。ぎっしり並んだ他人の背中が見える。その全部が無言で自分を拒絶しているように感じる。「乗ってくるな!」
乗り込むために上げた足を下ろす空間を探す。だが床はすでに見知らぬ人の足でびっしり隙間なく埋め尽くされていて、黒い靴がぬらぬらと自分をあざ笑うかのように光っている。
後ろの客が、自分がなかなか乗らないことに対しイライラしているのを感じる。「乗れないならどけ!邪魔だ!」自分はその架空の声にびくりとおののき身を引く。なだれを打って列の後ろのスーツ姿が車内へ吸い込まれていく。なぜあんなにためらいも迷いもなく乗り込んで行けるのだろう。

 
彼らは、乗ってもいい人間。自分は、乗ってはいけない人間。自分は乗れば人の足を踏むし、始末の悪いことにそれを自分で自覚できない人間。自分が乗らなければ誰か他のすぐれた人間がこれに乗って仕事に出かけることができる。
 
電車は行ってしまった。
そうやって何本かの電車をやり過ごしたあと、めまいが止まらなくなりその場にしゃがみ込んだ。駅員がやってきて声をかけてくれた。これはきっとここに自分がいると次の電車に乗る人の邪魔になるからだ。事務所で休んでいきますか、医者を呼びますか、という言葉を振り切ってよろよろと立ち上がり、改札へ向かった。
そんな日々が数日続き、その日も欠勤の連絡を入れると、上司の罵声が飛んできた。今懸案となっているクレームの処理については、今後別の人間に担当させるからもういい、どっちみちお前には任せるべきでなかった、と電話を切られた。
現実世界にも、身の置き場がなくなってしまった。わずかに開いていた自分のための隙間が閉じてしまった。
 
そこにいるのは自分じゃなくてもいい。むしろ自分でない方がいい。その方がきっとうまくいくのだから。自分の考えだと思っていたことは、誰か他の人が作り出していたものだった。自分で生み出したと思っていたものは他人のオリジナリティを侵していた。自分の乗り込もうとする電車はすでに他の人間で満杯になっていた。乗り込もうとすれば自分は意図しなくてもきっと誰かの足を踏んでしまうはずだ。そしてその電車に乗って出かけていく先で与えられる仕事は、自分でなくて他の誰にでもできる仕事なのだ。
自分は電車に乗るべきではない。ここに自分がいる必要はない。
 
 * * * *
 
突然知らないアカウントからメールが届いて驚かれたと思います。私が誰だかおわかりいただけたでしょうか。このメールをここまで読んでくれたあなたに迷惑をかけるつもりはありません。ここに至るまでの経過を事実に忠実に、しかしながらあくまでも自分の作品として書いてみたのです。どうでしょうか。
内面小説とでも呼べるのでしょうか、いつも読んでくださっていたファンタジーとはまったく趣が違うので驚かれるかもしれませんが、あなたには読んで欲しかった。サイトを閉じろと忠告してくださった、本当に自分の読者であったあなたに。
私が意図して盗作を行ったものであると誤解されたことは悲しかったけれど、結果的には同じことを私はしていたのです。早くこうするべきだったと気付かせてくれたこの事件に、感謝しているくらいです。あなたはあなたの見聞きした事実をもとに、きっと考えた末に自分にメールを送ってくれた。それだけで十分です。自分の書く世界を気に入ってくださっていたあなたが作者である自分をどのように想像していたのかは今となってはわかりませんが、こんな人間だとは思わなかったでしょう。笑ってください。
家族に宛てた遺書をきちんと書きます。気弱な人間がひとり、仕事での失敗に耐え切れずに満員電車に飛び込んで死んだ、それで丸く収まると思います。引き継がれた仕事は支障なく片付けられるでしょうし、上司は自分が死んでも罪悪感になど駆られないと思います。両親は悲しむと思いますが。いや、本当にそうかな?
自分があのサイトを立ち上げていた証拠は残らないはずです。このメールがあなたに届いたことであなたに迷惑のかかることはありません。ただ、誰かに知って欲しかっただけです。それだけです。
そろそろ通勤ラッシュの時間が始まります。それでは、行ってきます。お元気で。
 
追伸:こんなことあなたに聞くのも変な話ですが、上に書いた笑い話は、自分のオリジナルと言っていいんですよね?誰かがもう似たような話を、書いていたりはしませんよね?