- 作者: 直木孝次郎,日本歴史学会
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 1960
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ただ、小説に描かれた持統の生涯をけっこうリアルに受け止めている俺としては、ん?これはどうかね?と疑問に思う箇所がいくつかあり。というかたぶん、実際はどっちがより真実に近いのか、どちらの解釈に筋が通っているのかとかそういうことはあんまり関係なくて、現代人の心に浸透しうる形で書き進められた小説の内容に俺がより強くひかれたってことなんだろう。
たとえば持統が夫天武を「深く愛していた」というような表現がそうだ。直木氏は彼女の残した歌などからそのような表現を妥当として用いたのであろうし、確かにその想像にたがわず彼女は夫にそれ相応の愛情を持っていただろうと俺も思う。だけれども、直木氏のいう「深い愛情」よりも強く、彼女を政治の世界に執着させ、冷酷と思える行動に駆り立てる何かが、彼女の心に常に存在していたように俺には思えるのだ。
小説では、持統つまり讃良媛が、星の動きから世を占うのが好きで政治にはなかなか関わろうとしなかった夫大海人に対して「たよりない」と歯がゆい思いを抱く場面が何度となく出てくる。はっきり言って、為政者としては持統の方がやり手なのだ。孝徳天皇の息子である有間皇子を謀略によって排除したのはおそらく媛の父親である中大兄皇子なのだが、その悲劇の記憶が人々の脳裏からまだ完全には消えぬうちに、実力者として人望を集めていた大津皇子を追い詰め葬り去ったのは、愛息草壁皇子を混乱なく皇位につけんがため手段を選ばなかった、炎のマザー讃良媛であったろう。それは当の直木氏が唱えるところで、この本でも大津皇子の一件について直木氏は「あまりにも鮮やかな手なみである」と述べている。
大津は讃良媛の同母姉の大田皇女の遺児であったし、同時に讃良媛が「深く愛した」大海人・天武の息子でもあった。複雑な血縁関係のもととはいえ、姉と夫の血を引いた皇子を自ら死に追いやることについて彼女に迷いはなかったのだろうか。亡くなったばかりの天武の想いを、深い愛情を抱いていたはずの讃良媛は察することなくその手を血に染めたのだろうか。
とここまで書いていいかげん酔いがまわっていることに気がついたせすですこんばんは。どうも俺は「ひとりの男性に対して深い愛情を抱くことのできる人間に、自分と血を分けた姉の、そしてなにより愛する夫の息子を、殺すことができるのだろうか(反語)」という考えに固執しているがために、直木氏の「愛」という言の葉に引っかかりを感じてしまっているらしい。でもな、きっと、それができるのが人間なんだよ。現代を見ててもそういうケース、あるじゃん。人間ってそんなに清く正しいもんじゃないじゃん。しかもそうしなければ自らの身も危うくなるというのが古代の天皇一族の宿命だったんだよ。
でもって「愛」という単語はまことに都合よく美しいもの全般にまつわるものの表象と区別がつきにくいように考え出されたものなのであって、その単語によってあらわされる人間の感情というのは実は人間を道徳的に支配するものではまったくないのだ。むしろ道徳というような移ろいやすくもろいものを打ち破り踏み越えるためにある破滅的な力なのだよフハハハハハハハ。
しかし悪あがきをしてみる。讃良媛を動かしていたものがいわゆる「愛」だったのだとすれば、その愛はきっと究極的には夫の大海人ではなく己の父親中大兄へと向かうものだったのだよ!と、小説に感化された俺は思うのだった。愛というのはきっと手の届かない、手の触れることあたわずの失われた影を永遠におっかけるのことアルよ。野を越え山越え汗と涙と血の花乱れる池越えて屍累々踏み越えてとーきーをーーーかっけっるしょおじょおおおおーーーーーーにとってはおっかけることと待ち続けることはつまり同じということなんでありましょか。ながらへばしのぶることのよわりもぞする。