せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2025年もそこそこ適当に生きたい。

晩飯

なんか今日も寒かった。鶏肉が安かったら懲りずに唐揚にしようと思ったのだが安くなかった。代わりに刺身用と書かれた鯵が安かったので買って帰ってなめろうにしようと身を開いたら、内臓の色が全然新鮮っぽくなかった。目はキラキラしてお肌は青虹の走るがごとくツヤツヤな、とても美人な鯵だったのに、取り除いた内臓はなんだか裏腹に全然生命感がなくてちょっと淀んだ不気味な色をしていた。これがいわゆる腹グロってやつか!なんか字が違うような気がするけど!
でも俺はそんな腹グロを呈した魚も生でかまわず食っちまうんだぜ?かいでみてへんなにおいがしたら食べるの中止して、しょうがを山ほど追加で叩き込んであじバーグにしてフライパンでしっかり火を通して食べるからいいんだい!しょうがと熱がわるい菌をやっつけるからいいんだい!
で、いつも通りに三枚におろして包丁でガンガン叩いてなめろうにしたらば、なんだかとっても空腹だったことを思い出してにおいをかぐのを忘れて一気に食べてしまった。

読んでる

額田王 (人物叢書)

額田王 (人物叢書)

「飛鳥 その光と影(asin:4642072853)」で、人麻呂の泣血哀慟歌から想像力の翼をバッサバッサ広げて一組の男女の出会いとその後の会話などを筆にのせておいらのドキをムネムネさせてくれたロマンチックな歴史学者のえらい人が、額田王について書いた本だ。今見たら去年の年末に出たばかりの本だった。ひと昔以上前の本を読んで、「あれ、でもここからこの後なんか発見されなかったっけ?」「あれ?これ今の定説となんかちがくね?」と首をひねってばかりいた自分にしては珍しい。学者の自説持論がタイムラグなく読めるというのはありがたくうれしい。
これの前に読んだ対談集では額田王大海人皇子が交わした歌について、「宴の席で披露するために歌われたもの」という見解が参加者の間でだいたい固まっていて、俺はその歌や泣血哀慟歌が「ネタ」として、いやネタというとなんだけど、とにかく「フィクションである」としてとらえられて、なんだか当の歌そのものから一段上に上がったような位置で話が進められていくのが、知的興味は満たされながらもなんだか興ざめだった。や、ブンガクを研究するというのはそういうものなのかもしれないし、実際ほんとにネタなのかもなー、とも思ったりはしているのだけれどでもなんだかそれじゃつまらなくて、別に研究者でもない自分は、それらの歌がほんとうに座興なんかじゃなくて、少なくともリアルな気持ちや体験の反映として歌われたものであるという前提でイロエロなことに思いをはせたいのよ。なので直木氏が至極素直(素直って言葉は人生の大先輩に対して使うものではないのかもしれんけど)に歌そのものを受け止めている*1のが、読んでいてとても気持ちいい。
ところで日本人は昔から擬人化なんてのをやってたんだな。森羅万象に神々を見出すという特性からくるってのかな。でも他の国にもあったよな気もする。
額田王ではなく、大海人皇子でもなく、大海人のお兄さんの中大兄皇子の歌。

香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし いにしへも 然にあれこそ うつせみも つまを 争ふらしき

反歌は割愛。「三山歌」でぐぐると出てくる。
鳥三山が恋をめぐってトライアングリーな関係だったでござる。神代からそうだったんだからいまもこういう恋の鞘当てってのがあるんだよ、みたいな。すいませんすいませんふざけた訳しか書けなくてすいません。
でも山が恋愛しちゃうんだよすげえ。で、そういう言い伝えを「神代」のもの、ずっとずっと昔のことだとちゃんと述べていながらも、「だから今われわれも同じようなことをしているんだ」って自分たちをその伝承の延長線上にあるものとして位置づけるところがかっこいいですぅ。
で、この三山歌は中大兄皇子大海人皇子、そして額田王のトライアングリーを歌ったものという解釈が割と一般的であるらしいのですけども、しかしどの山が誰、つうかそれ以前にどの山が女でどの山が男なのかと解釈するにあたってはどうも意見が割れているらしい。
このページにそのあたりの諸説がわかりやすく書かれた表があった。

一般的なのは中大兄が香具山で、額田王畝傍山)「を惜し」と思って大海人(耳梨)と争っているという構図を歌にした、と言う説だそうだ。直木氏は「ををし(雄男志)」の解釈について、万葉集中で「雄」が格助詞「を」として用いられる例が極端に少ないことから、この「雄」は格助詞の「〜を」ではなく、あくまでこの節「ををし」は「雄雄しい」である、つまり香具山は女で、男性である畝傍にひかれているのだ、と結論づけている。このあたりはそういう文献の分析だけでなく著者自身の想像力もおおいに披露されているので、俺のように人のイマジネーションって大好きだ!という人にはぜひ実際に読んでみて欲しいと思う。
ただやっぱりイマジネーションってのはこういう確かな知識と探求力のある人が発揮するから出版物に書けるんだろな。俺的には香具山は名前からしておにゃのこっぽいし耳梨山はネコ耳ぽかったからやっぱりおにゃのこっぽいし、畝傍って字面がちょっとイケメンっぽいからこれは女!男!女!な歌だ!と思ってしまった。通常「妻を争ふらしき」と書かれる部分の「つま」は、昔は特に女性を指す言葉ではなかったらしいので特に。でも耳梨ってよく見るとまだあどけなさの残る、またはちょっと言動にいかにも少年っぽいようなところのある男の人、ってかんじもする文字列なので、この本にあるような女!男!男!*2な歌でも割としっくりくるなあ。ちょい小悪魔キャラの香具山が「耳梨ってちょっと子供っぽいのよねー、畝傍を見てみなさいよ!あの男らしさったら」とか言って「なんだと!お前は俺をさしおいてアイツと一緒になるってのか!」って耳梨と喧嘩になっちゃうの。なんかそんなかんじ。しかし俺の妄想には根拠はまったくないぜ!くそう!
おまけ

  • 香具山

*1:や、俺みたいに「ネタでも考え無しにマジだと思って食いついちゃうんだぜ?」っていうんじゃなくてちゃんと所論を踏まえた上で単なるネタじゃないと考えているのだけど

*2:ただし一般に言われているのと違って中大兄ではなくて額田王が香具山、というのが直木氏の解釈

ものすごいショックな出来事

しっかり歯を磨いたと思ったのに鏡を見たら下の前歯の付け根と歯ぐきの間に青じそのかけらがはさまっていたので爪楊枝で除去を試みたのにうまくいかずに青じそがどんどんどんどん歯ぐきの中へ入っていってしまって取れなくなって今もうっすら歯肉の表面に透けて見えるのがすっげええええええええええええいやだああああああああああああああああああああああああああああああ