せすにっき

日記。2019年1月にはてなダイアリーから引っ越しました。2024年もそこそこ適当に生きたい。

おはようございます

へんな夢みた。
近づきつつある嵐にまぎれて、大物テロリストがこの町にテロをしにやってくるらしい。それはなんかこわいなあ、この界隈は野良猫天国で、この前も子猫が生まれてあちこちでミューミュー歩いている、そんな素敵な町なのにテロが起きたらいやだなあ。
先日既に、部屋の下見にかこつけて一軒のアパートを訪れていたのだそうだ。しかし正体に気づいた不動産業者の人が契約を断ると、テロリストは不動産業者を射殺して部下に遺体を運ばせてそのまま去っていった。死体がないから警察は動こうとせず、目撃者も報復への恐怖から何も語らず、近所で銃声を聞いていた人たちも黙って立ち去ってしまったのだという。
しょうがないのでこっちも嵐にまぎれてテロリストの人を建物ごとふっとばしてしまうといいかも、と、友人たち数人とで、外見だけまともなプレハブのアパートを急ごしらえで作った。子猫たちがにゃーにゃー言いながら入ってきたので危ないよ、とさとしているところで目が覚めた。

晩飯

のんびり洗濯してのんびりお外に行ってのんびり帰ってきてのんびり掃除してのんびりアイロンがけしてのんびり晩飯を作ったら一日が終わっていた。森に行ったら天候のせいか白黒の蚊がいっぱい寄ってきたので、リストバンドタイプの虫除けをスイッチオンしてその威力を体感しようと座って本を読んでいるうちに半袖一枚ではなんだか肌寒くなってきて退散。しかも一箇所刺されてるし。だが準備万端、ポケットタイプのムヒ、商品名ポケムヒもカバンに入っているのだよ!塗り!文明とは素晴らしい。俺はかゆみに勝った。
山を降りてくると八百屋でとってもとってもきれいな茄子が5本も入って100円だった。この時期の茄子ってこんなにキレイだったかなあ。2本は煮びたしにして明日以降のおかず、1本はそのうち輪切りにして揚げ焼きにしてはふはふ食べよう。今日は2本の皮を剥いて縦4つ割りにしてラップで包んでレンジでチンして水でさっと冷やして、ベビーリーフとあわせて酢醤油でいただきます。ほんわりとあまくてうまい。

読み終えた

食の万葉集―古代の食生活を科学する (中公新書)

食の万葉集―古代の食生活を科学する (中公新書)

昨日「万葉の時代の人は卵を食べてたのか?」と疑問に思ったのだがこの本によると、万葉集にも歌われているように鶏は普通に庭で飼われていたりしたらしく、卵も当然食用とされていただろう、とのことだった。天武天皇の頃には宗教上の理由から鶏肉も食用禁止令が出たのだそうで、わざわざ禁じるってことはやっぱり普通に食用とされていたのだ、みたいなことが書いてあった。言われてみるとそうだよな。で、その頃は鶏だけじゃなくてキジやカモ、そのほか野鳥のたぐいも貴重な蛋白源であっただろうから、山に入ってたまたまみつけた野禽の卵なんかもたぶん食用になっていたんじゃないかと思う。古代の人はどんなふうに卵を調理してたんだろう。サニーサイドアップとかはなさそう。
鹿やイノシシの肉を「なます」にして食べたという記録が残っているそうなのだけれど、この「なます(膾)」というのは現代の「酢の物」という感覚とはまた違って、酢や醤で和えない、肉を細切りにしただけのものもそう呼んだのではないかと受け取れる。つまり刺身。現代において、たとえば鯵の身を細切りにしたものは「たたき」と称するけれども、それが昔でいう「なます」みたいなものだったのかなあ。
けもの系のものを生で食べることに抵抗がなかったのであれば、庭で鶏を飼っていてしょっちゅう新鮮な卵を手に入れられた人々の間では卵の生食も普通に行われていたんじゃないかなあ、なんて気にもなってくる。食べてましたか?卵かけごはん。
で、俺の超気になる意中の人物、軽皇子孝徳天皇について意外な事実が判明。203ページから。

万葉びともミルクを飲みチーズを食べていた。といっても、多分、滋養強壮薬として摂取していたのである。それが確認できるのは『新撰姓氏録』で、それによると、孝徳天皇朝鮮半島からの渡来人が搾ったミルクを飲んだと記されている。

いずれにせよ庶民が口にできるものではなかっただろうけれど、ミルクを飲用に供したり、チーズを作ったりという知識や技術を持つ一族が渡来したのは欽明天皇の頃らしい。その頃には日本に牛もいたのかな?それともちがう動物の乳?

この筆者にはこんな著書もあるので読んでみようと思う。